第4回 東洋医学と西洋医学のシンクロニシティ – 足立繁久 – 森ノ宮校友会連載ブログ① 

◆ ブログ

平成30年3月29日 
第4回 東洋医学と西洋医学のシンクロニシティ – 足立繁久 – 森ノ宮校友会連載ブログ① 

第4回 東洋医学と西洋医学のシンクロニシティ

今回はちょっと変わった視点で東洋医学と西洋医学を比較してみましょう。東洋医学と西洋医学はよく比べられるものです。伝統と最先端、抽象的と具体的、感覚とデータ…といったような比較でしょうか。

どちらかというと東洋医学は西洋医学に比べて抽象的で遅れている…といった印象をもつ人が多いです。しかも残念なことに、鍼灸師の中にも東洋医学に不安や迷いを持っている人が多いようにも感じます。

ですので、今回は東洋医学と西洋医学のシンクロニシティと題して、西洋医学と東洋医学の進歩や発展の共通点を挙げてみようと思います。医学の歴史を見直すことで、東洋医学は抽象的な医学に過ぎないのか?を再確認してみたいと思います。

まずは逆子の発見について。

写真:胎児のエコー写真

<写真:胎児のエコー写真。このような技術がなかった頃は逆子という概念も理解されにくかったのだろう。>

 

逆子を発見したのはスコットランドの医師、ウィリアム・スメリー(1697-1763)ですが、江戸時代の賀川玄悦(1700-1777)も同時期に逆子の説を提唱しています。

賀川玄悦は1765年に出版された著書において逆子について説明しています。

2人の医師が逆子という概念を提唱するまでは、お産の直前に胎児は産道に頭を向けて産まれてくると…という風に考えられていたのだとか。

逆子は至陰、三陰交のお灸が有効であるということは経験的にも知られています。現在では「西洋医学の産院で逆子が判明したら、鍼灸院でお灸して逆子を治す」というケースがありますが、これも西洋医学と東洋医学がうまくかみ合っている好例といえるのではないでしょうか。

予防接種についてもその歴史を振り返ってみましょう。予防接種といえばジェンナーによる牛痘を使った天然痘に対する予防接種が有名です。

(牛痘に罹ったことのある)牛飼い達が天然痘に罹りにくいことから、「あえて牛痘に罹らせることで、本格的な天然痘の罹患を防ぐ。」という獲得免疫を利用した予防法を実証しました。まさに「その時 歴史は動いた!」です。西暦1790年代のことです。

そのころ東洋は…というと、実はすでに中国や日本では予防接種が行われていました。

『種痘新書』(1741年)という種痘に関する医書があり、ジェンナーと同じ18世紀の頃には種痘が実践されていたのです。

まだ続きがありまして…『種痘新書』の序文には「私の祖は聶久吾先生の教えを承け、種痘を家業とし、すでに数代を経た。」と書かれています。つまり1600年代には種痘は実践され伝えられていたと考えることができます。

しかし、ジェンナーの話も続きがありまして…

西洋に初めて種痘をもたらしたのはジェンナーではなく、メアリー・モンタギューという女性であったとされています。

彼女の夫、エドワード・モンタギューは1716年にトルコ大使に任命されトルコに赴任します。モンタギュー夫人はトルコで人痘接種による予防法を知り、イギリスに持ち帰ります。1721年には娘に人痘接種を、翌1722年には国王の孫娘に人痘接種が行われたとあります。

この話からみると、トルコ(インドという説も)で予防接種が行われていたという事実からはアラビア医学(インド説であればアーユル・ヴェーダ)がすでに予防接種を実践していたと考えるべきしょう。

ことの真偽は今後の課題に置いておくとして、逆子にせよ、予防接種にせよ、決して抽象的な医学ではなく、目の前の現象を正しく観察し、分析した結果の経験医学であるといえます。

東洋医学と西洋医学の両者は進化の方向性こそ別れましたが、それぞれ固有の医学体系をもつ医学として発展しています。

東洋医学に携わる私たち鍼灸師は、決して怪しい医学として卑下することなく、一医学の担い手として東洋医学の研鑽に突き進むともっと自分の仕事に自信と誇りを持つことができると思うのです。

【鍼灸師 足立繁久(足立鍼灸治療院 / 鍼道五経会)】

続く。

←←←前回 第3回「鍼灸が持つ3つの顔」

→→→次回 第5回「次の世代の患者さんを育てる」